雛人形の歴史 雛人形2300年時空の旅 ドールコーディネーター平安春峰
●雛人形は経国の大業にして不朽の盛事なり
 
そもそも、杯(曲水の宴)から生まれた雛人形は、平安貴族の女性が流し雛として世界的に類を見ない文化行事として誕生させたものです。 曲水の宴は、貴族、官位、男性主体といった一部の人々の行事でありました。 ところが、流し雛は、女性であれば、すべての人ができる行事としてはじまりました。 そこに、平等な世の中、子供を思う心といった、あたりまえの女性の願いがあり、流し雛は、普遍性をもって日本各地に広がりました。
そして、時の流れの中で形を変えながら雛祭りとして、今日に至るまで連綿と受け継がれてきました。 この科学技術の発達した文明社会の中でも、過去の文化でもなく、一部の人達による趣味的な伝統文化でもなく、生活の中に脈々と生き続けています。 その役割は、季節の変わり目は、体に気を付けましょうと言った危険信号的役割はもちろんの事、物を大切にする心や整理整頓の教えを伝えてきました。 この日本人の物を大切にする繊細な心、そして継承していく精神は、すくなからず、今日の日本の発展(外国に負けない物づくり)にもつながっていると考えられます。 世界の中でも最先端のファッションを着こなし、最先端のレジャーを楽しみ、最先端の電化製品を使いこなす日本の女性(年齢を問わず)が、生活必需品でもなく決して安価なものでもない雛人形を時期になると真剣な眼差しで選んでいます。 その姿をみると雛人形の偉大さとその伝統文化を誕生させた日本女性に対し誇りと尊敬の念をいだかないわけにはいきません。 そもそも、杯から生まれた雛人形には、伝統的な飾り方などは、ありません、時代の背景を写すように変化してきたのです。 現代社会における住宅事情、子育ての忙しさなどの複雑な生活様式のなかで雛人形も多様化してきました。 しかしながら、雛人形の心は過去の女性にもまして現在の女性にも受け継がれています。 この他国にはない伝統文化の精神が受け継がれる限り、経済の一時停滞はあるにせよ、日本の将来には、明るい未来があるのではないでしょうか。

書聖王羲之は、漢民族の危機的状況の中で伝統文化である流觴曲水の宴を行うことによって、民族の誇りを呼び戻そうとしました。三国志の魏の武帝曹丕は、「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり!」と文学(文化)は、国を救い、民を救う何よりも大切なものであると高らかに称えました。今、日本の低迷した経済状況をブレイクスルーするには、伝統文化の精神を見直すことも一つの方法かもしれません。その中でも、日本人にとって雛人形は、国を救い、民を救う何よりも大切なものであるのかもしれません。
「雛人形は、経国の大業にして不朽の盛事なり!」

西暦二〇〇〇年九月一九日


(雛人形の八つの役割その八の三 感謝の心 ひな祭りを祝ってくれた家族に感謝の心が芽生えます。)

BACK
TOP
NEXT

Copyright (C) Morisige Corporation. All Rights Reserved.