序文 文明と文化、日本人にとって雛人形とは!
文明と文化の違いについて故司馬遼太郎先生は、次のように定義付けています。 文明は、「だれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの、機能的なもの」をさすのに対し、文化は、むしろ不合理なものであり、特定の集団、たとえば民族においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまり普遍的でない。たとえば、青信号で人や車は進み、赤で停止する。このとりきめは世界に及ぼしうるし、げんに及んでもいる。普遍的という意味で交通信号は、文明である、逆に文化とは、日本でいうと婦人が、ふすまをあけるとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。立ってあけてもいいという合理主義は、ここでは、成立しない。不合理さこそ文化の発光物質なのである。同時に文化であるがために美しい。」
故司馬遼太郎先生が、文明と文化の違いを明確に書かれています。
時として人間は、文化を不合理で不必要なものとして考えてしまうことがあります。
日本では、明治維新の廃仏稀釈や隣国の中国では、文化大革命などがそうです。
また、ある社員の話ですが、高校を卒業後、島根県から大阪に出て来て当社に就職し、三年後には、退社した若者がいました。 辞める理由は、何だったか忘れましたが、「雛はなくても子は育つ」と、名言を残して辞めていったのを鮮明に覚えています。
また、反対の話として、私の近所に、お金持ちの老夫婦が住んでいます。 八十歳に近いお歳にもかかわらず会社を経営されています。 海外の取引先へ、お土産として、日本人形をよく買っていただくことがあります。 ある時、日本人形ではなく高額の雛人形を買ってもらいました。 「どなたのですか。」と尋ねたところ、「娘に」ということでした。 私は、お孫さんに贈られるのを、娘にとおっしゃったのだろと思っていました。 近所なので、自宅へお届けにあがりました。 すると、仏間に通され、「仏壇に向けて飾ってほしい。」と頼まれました。 実は、五十年程前に二十歳で亡くされたお嬢さんの雛人形だったのです。 奥様の話では、ご主人は、お嬢さんを亡くされてからも、必要なものを色々買い揃えられ、何十年たった今でも、正月には、お年玉を仏壇に供えてられると言うことでした。 そして、今回は、雛人形を娘さんに買ってあげてないことに気づかれ、買い求められた、ということでした。 私は、仏壇に手を合わせながら、親と子供の絆を強く結びつける雛人形の歴史の重みを感じるとともに、このお雛さまが、お嬢さんを亡くされたご主人の悲しみを少しでも癒す役割を果たしてほしいと願う気持ちで一杯になりました。
また、数年前、日ごろより大変お世話になっている会社の社長様の奥様よりお電話をもらいました。 ご自分がお持ちの雛人形に似合う部品を揃えてほしいと、言うことでした。 戦時中、お父様の仕事の関係で中国に生活されており、終戦間近、情勢不安の中、なんとか日本へ戻られましたが、その時に、雛人形十五人以外のお道具や飾り段をなくされたのです。 その後、多忙な生活の中、雛人形を飾られることもなく数十年が過ぎ、還暦を迎えられるようになって、ようやく、多少時間的余裕もできたので雛人形を飾ってみたいと思われたようです。 ご主人も賛同され、奥様の還暦のお祝いに、今回の費用をだされることになりました。 当日は、人形と道具や部品を合わせるために飾り付けに寄せていただきました。 その時、玄関で我々を奥様は、赤い色の衣装で迎えて下さったのです。 還暦衣装の赤と雛人形毛氈の赤をイメージされたかどうかは、わかりませんが、その日の雰囲気にピッタリ合った衣装でした。 何十年ぶりかに一揃いの飾りとしてお雛さまと対面される思いが伝わってくると同時に、その物事に接しられるこまやかな心遣いに感動しました。 雛人形は、年齢を問わず、日本の女性に愛されているのです。
多忙な現代社会の中で、日々の仕事、生活に追われている現代人にとって、一時的に元社員が言ったように、雛人形に対し、「雛はなくても子は育つ」といった現実論的な考え方をするのも致し方ないことかもしれません。 現に、他国では雛人形なしで子供は育てられています。 しかしながら、文化の役割は、人生ふと立ち止まった時に、現実論では、計り知れない大切な役割を精神(心)に及ぼすところにあります。 ふと立ち止まった時に振り返るものがあるのと無いのでは大きく違います。 雛人形を亡くなられたお嬢さんに買い求められたご主人も、今までのものでは得ることのできない心の平安を得られたに違いありません。 また、先ほどの奥様と同じように、雛人形を飾る機会をなくされ、納戸にしまわれたままの方も全国に沢山おられると思います。 しかしながら、何時の日か、必ずご自分のお雛さまと素敵な再会をされることと信じています。 文化とは、その文化を所有する民族の心のふるさとでもあるからです。
大阪松屋町には、この伝統文化商品である雛人形を販売して商売が成り立っている店舗が40件あまり軒を連ねています。
生活必需品でもない初節句のお祝い人形を販売する店が、大阪市中央の南北を代表する大通りの一角を担っています。 このような通りは、世界的にも例を見ないのではないでしょうか。 なぜなら、御堂筋、堺筋、四つ橋筋、谷町筋に見られる企業、商店、例えば、デパート、銀行、証券会社、電気街などは世界のどの国に行っても見られますが、伝統文化商品を販売する店が大都市の一角を占めているなどということは、他国にはないからです。 この様な意味から松屋町筋は、世界に誇れる数少ない伝統文化ストリートと言えます。
この大阪松屋町で、私は実際に雛人形を販売しています。 ある年の雛人形シーズン日曜日のことです。 シーズンで一番多くのお客様が来店された日でした。 小学校五年生の女の子とお母さんが来店されました。 一階の店内を軽く回られ出て行かれようとします。 私は、すこし気になり「何かおさがしですか。」と尋ねました。 すると、お母さんが、「この子のお小遣いで買えるような雛人形を探しに来たのですが、どうも無いようですので、あらためて出なおします。」ということでした。 たまたま、店の二階の踊り場に、海外へのお土産などを展示しているところがあり、そこに二千円前後の焼物でできた雛人形を二点程展示していました。 私は、とりあえずご案内し、ご紹介しました。 すると女の子は、「私のお小遣いで買えるお雛さまがあった。」と大変喜んでくれたのです。 帰り際にお母さんは、「この子が生まれた時に、雛人形を買ってあげることができなかったのです。 急に、自分の机の上に飾れるような雛人形が欲しくなったようです。 この子の小遣いで買える雛人形があってよかったです。」とおっしゃって帰られました。 私は、本当に、女の子がお小遣いで買える雛人形があって良かったと思うと同時に、小学校五年生の女の子が雛人形を自分の机の上に飾りたいと思う心があったことに目頭が厚くなる思いがしました。
そして、女性の雛人形に対する思いは昔にもまして現代の小学生の女の子の中にも、受け継がれていることをあらためて認識しました。 雛人形の偉大さとその伝統文化を誕生させた日本女性に対し誇りと尊敬の念を抱かないわけにはいきません。
この現代社会の中で生活必需品でもなく、子供が生まれたら決して安価なものでもない雛人形を買い求める日本人! そして、一部の人々の趣味的な文化でもなく、宗教的な意味合いを持ったものでもなく、年中行事として生活の中に、連綿と受け継がれてきている雛人形! 日本人にとって、雛人形とは如何なるものなのでしょうか。 私は、小さい時より今日まで雛人形によって生かされてきました。 数年前より、この雛人形とは、どうして生まれてきたのだろうかと改めて考えるようになってきました。 雛人形の起源には、諸説があります。 二千三百年時空の旅と称し、長い歴史背景の中で雛人形が生まれてきた軌跡をお伝えできればと思います。