なぜ、「流し雛」は女性により女の子の行事となったのか 
 
ここで、もう一つ大切なことは、流し雛が女児だけの行事になったのはなぜかということです。 そこには、殿方だけが楽しむ流觴曲水の宴に対するその当時の女性のささやかな抵抗があったのではないでしょうか。 なぜなら、女性にとって、生命の誕生する喜びと、生まれた子供たちの無病息災を祈る気持ちは、男女を問わず同じはずだからです。 
しかしながら、女の子だけの行事になったところに、男の子に対し、「あなたは、大きくなれば、流觴曲水の宴ができるでしょう。」といった、男性に対する風刺が流し雛には込められていたのです。
曲水の宴は、男性社会の枠組みに入れない優れた平安貴族の女性達により、すべての女性が行うことができる流し雛として姿を変えます。
ここに雛人形二千三百年の時空の旅の中でも特筆しなければならないことは、平安貴族の女性によって世界的にも例を見ない、女の子のためだけの行事が誕生したということです。
そして、流し雛は、貴族であれ、庶民であれ行うことに身分の隔たりがありませんでした。 そのため、平等な世の中、平和な世の中を願う女性の心は普遍性をもって日本各地に広がります。 そして流し雛は、雛祭りの行事として今なお残っている地域も少なくありません。
そして、次のことは、こじつけかもしれませんが、「ひいな」は、鳥の雛のように小さくて可愛らしい人形という意味です。 鳥の雛であることから、人形を鳥の巣に似たわら籠にのせて川に流しました。 現在、鳥取県用瀬などで流し雛の行事が残っていますが、 その多くは、鳥の巣のようなわら籠に人形をのせて川に流しています。 
流し雛は、川から海へ流れ至ることが無事にできたならば、身の汚れを人形に移した女児は、その年を無病息災で過ごすことができるというものでした。 そして、流し雛は、男女一対の人形を流します。 その人形は、はじめは紙やわらなどで作られていました。 その姿は、男性の人形が手を広げて立ち、女性の人形は、小さめに棒のように立っているだけの簡素なものでした。 しかしながら、そこに秘められた姿には、男性が、女性を自分の身をもって守ろうとしている姿と、その横でその男性を支えようと目立たず謙虚に寄り添っている女性の姿があります。 その姿は、人間愛のすべてを物語っています。 また、流し雛には、男女が、末永く共に寄り添って仲良く人生を送れることを願う女性の思いが込められています。 
また、流し雛がデビューになったお雛様は、タニシが大好物になります。 なぜなら、この時期は、川でタニシが沢山取れるからです。 今日でも、雛祭りのお膳に、タニシ料理が、添えられるようになったわけです。 また、地域によっては、サザエのつぼ焼きをお膳に添えられるところもあります。 どちらにも共通していることは、巻貝であることです。 昔から巻貝は、願い事を叶えてくれると信じられてきました。そうしたことから、子供を病気悪癖から守ってもらいたいという願いを巻貝に託したのです。 ここにも、日本女性の子供の幸せを願う気持ちが強く感じられます。 
その後、流し雛からさまざまな雛人形の形が生まれます。 そして、江戸時代のはじめに、雛祭りと呼ばれるようになり現在の雛人形の形ができあがります。 その形に至る過程は、女性自身と子供の幸せを祈る気持ちの積み重ねによるものであることが、十五人の人形や付随する道具の中からうかがわれます。
雛人形の道具の中には、一対の貝桶が付いている場合があります。 貝桶とは、現在のカルタと同じような遊び方をする、平安時代の遊具を入れる器でした。 貝桶の中には、ハマグリの貝が百八十づつ入っています。 そして、その貝の裏側には、絵が描かれ、同じ絵を合わせて遊んだり、また、歌貝とも言われ、和歌の上歌と下歌を会わせて遊ばれました。
ハマグリには、女性の願いが込められています。 ハマグリは、他のハマグリのフタとは絶対に合わないと言われています。 そうしたことから、女の子が、大きくなってお嫁さんになったらハマグリのように、一生旦那さまと心を合わせて仲良く暮らしたいという気持ちをハマグリに託したのでしょう。
今日、貝合わせの遊びはなくなりましたが、雛祭りの料理としてちらし寿司にハマグリのお吸い物は、付き物になっています。
雛人形のお飾りとして、または、食べ物として欠かせないものに、菱餅があります。 菱餅の形は、水草のひしの実からきています。 昔は、ひしの実は、万病に効く薬草として重宝されてきました。 病気悪癖の多い時期に欠かせないものでありました。 そうしたことから、流し雛に添えて流されたり、今日では雛人形に添えて飾るようになったのです。
また、菱餅の色は、下から白、緑、赤の順番になっています。雪が降り、芽が出て、花が咲く、といった草木の成長を表しています。 これは、子供が、健やかに成長し、立派に育ってほしいといった親の願いが込められているのです。
同じく、雛人形の飾りとして欠かせないものとして桃の花があります。 中国の伝説には、桃は、不老長寿の実と言われてきました。 また、桃の花は、悪魔を祓うと言われてきました。 そうしたことから、お雛さまの横には、桃の花を花瓶に生けたり、前飾りとして三宝を置き、その上のトックリに、桃の花をさして飾っているのです。 そして、旧暦三月三日頃には、桃の花が咲くことから三月三日は、桃の節句とも言われているのです。
同じく、雛人形の飾りとして欠かせないものとして桜橘があります。 京都御所の紫宸殿の前の庭に天皇さんから向かって左に桜(左近の桜)、右に橘(右近の橘)があります。
旧暦三月三日頃には、見事な桜の花が咲くことからお雛さまにも飾るようになったのです。
そして、現代になって雛人形の飾りとして、最も象徴的な存在が、雪洞です。 それは、雛祭りの歌によるものが大きいと考えられます。 「あかりをつけましょぼんぼりに…」から始まるこの歌はあまりにも有名です。 余談ですが、オルゴールの曲として世界で一番使われているのがお雛祭りの歌だそうです。 雪洞に照らされたお雛さまのはんなりした雰囲気は、家庭の中に、やすらぎと家族の絆を強く感じさせてくれます。
この雪洞に照らされた雛人形のはんなりした姿は、日本人が世界に誇る人形文化の傑作と言えます。