流し雛へ導く、書聖王羲之の会稽山陰の蘭亭で行った流觴曲水の宴と「蘭亭序」
 
魏の国は、現在の中国の中央にあたる黄河流域中原を支配していました。 また、邪馬台国の卑弥呼が使いを出したことでも知られています。 魏の曹操は、政治家として有能なだけでなく文学にも造詣が深かったことで有名です。 そして、その息子曹丕、曹植は、その影響を受け文学に有り余る才能を示しました。 後に魏の武帝となる曹丕は、「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」と、文学(文化)の独立を宣言し、文学(文化)は国を治めることにも匹敵する立派な仕事であると言い切りました。 また、その弟である曹植は、中国古典文学の最高傑作の一つと言われる「洛神賦」という詩を残しています。 その詩は、中国絵画史上で最初の偉大な画家といわれる顧ト之の傑作の一つ「洛神賦図」として描かれています。 「洛神賦」は、魏の都洛陽を流れる洛水を舞台に、曹植が洛水の女神とかなわぬ恋をする悲恋の詩です。 
それは、恋する女性を兄に奪われた曹植の悲恋が生んだ詩でもありました。 
このように、魏の国には多くの詩が残っています。 しかしながら不思議なことに、蜀の劉備、諸葛孔明の詩はほとんど残っていません。 文章として残っているのも、諸葛孔明の「出師の章」だけです。 七分の一の国力でありながら蜀の国を守り抜いた天才軍師孔明ですが、さすがに詩を残すだけの文化を蜀の国に持つことはできなかったのでしょう。 そして、この文学が急激に開花した魏の国で流觴曲水の宴もさらに貴族文化の粋とされる雅な遊びとなりました。
二世紀初め、この国に、邪馬台国の卑弥呼が使いを出します。 魏の武帝曹丕が、卑弥呼に対し漢の倭の奴の国王の金印を送ったことはあまりにも有名です。 余談ですが、魏の国は、諸葛孔明に幾度となく戦いを挑まれ、その間、隣国の朝鮮半島を治めることができませんでした。 朝鮮半島経由で魏の国に行くことが難しく、邪馬台国の卑弥呼は、諸葛孔明が倒れるまで使いを出すことがでなかったのです。 魏の武帝は、卑弥呼の使者に金印を送ると同時に、宮中行事曲水の宴を伝えました。
なぜなら、今日でも国家が、海外の要人を自国に迎え入れたときは、必ず何がしかの自国文化を紹介するのが常だからです。 ということは、日本最初の国家誕生と同時にこの宴が伝わったことになります。
この魏の国での文学の開花には、書の歴史が、大きな役割をしめています。 
書がこの時代急速に進歩します。 そこには、筆記具と紙の普及がかかわってきます。 まず、前漢時代の紙が、甘粛省天水市で見つかりました。 現在最古の紙の出現です。
その後、後漢の終わりに紙の製法が改良され、古くから使われてきた毛筆とがかみ合い急速に書の世界が開花しました。 紙が考案されるまでは、流觴曲水の宴も木簡、竹簡に詩が書かれていました。 この書の画期的な進歩が、多くの書体を生みだしました。 
その後、書は、中国では、絵画よりも上とされ芸術の頂点を極めることになります。  
その書を芸術まで高め頂点を極めるのが書の聖人とまで呼ばれた王羲之です。 
書聖王羲之は、並々ならぬ書の研鑚の中から行書体をあみだします。 「書は人なり」という言葉がありますが、書生王羲之は生涯を賭けて、まさにこの言葉を身をもって示した人物です。 そして書聖王羲之が、後世に名を残す会稽山陰の蘭亭で流觴曲水の宴を催します。 当時、王羲之五十歳、後にも先にも生涯つうじてただ一度の流觴曲水の宴です。 
そして、中国史上最も代表的な宴となり、後世の画家たちが、この日の故事にちなむ名画を数多く残しています。 
この宴は、東晋永和九年、西暦三五三年の旧暦三月三日。 紹興酒で有名な紹興市郊外会稽山陰の蘭亭に、当代の名士たち四十一人を集めてはじまりました。 そこで、できあがった詩文を一冊にまとめ、巻頭に王羲之が序文をつけました。 
これこそ中国書道史上「天下第一の行書」と絶賛される「蘭亭序」です。 
雛人形二千三百年時空の旅の中でも大切な序文の登場です。
なぜなら、この蘭亭序は、この後日本の文化人に大きく影響をもたらし、日本に流觴曲水の宴を飛躍的に広め、流し雛へと導くからです。
この本を書いている時、中国へ行く機会がありました。 旅行代理店の方に上海から紹興市は近いと聞きましたので、途中半日抜けて別行動したいとお願いしました。 ところが、旅行代理店の方に笑われることになりました。 なぜなら、中国の近いと日本の近いが違うということです。 上海と紹興市は大阪と東京より離れていたのです。 中国全体の地図で見ると上海と紹興市は近くに見えます。 ところが、実際の距離は五百キロ以上もあるのです。 書聖王羲之が、紹興市会稽山陰の蘭亭で催した曲水の宴跡へ行く機会は次回にお預けとなりました。
近い将来、雛人形のルーツの中でも特に大切なこの曲水の宴跡に、日本人の観光客が、多数訪れるようになり、旅行代理店の企画に雛人形二千三百年時空の旅なるツアーができれば嬉しい話です。

        (顧ト之の傑作の一つ「洛神賦図」断片図)   (書聖王羲之「蘭亭序」拓本の一部)