「雛人形2300年の時空の旅」
ドールコーディネーター
平 安 春 峰
雛祭りの起源「流觴曲水の宴」の行事が生まれる(人間と自然の関係)
雛人形の起源には、諸説があります。
約二千三百年前、人々は、小川の辺にたたずみ思いにふけりました。 この水は、何処から生まれて何処へ消えて行くのだろうかと。
今日、誰もが川の水は、海に流れ、蒸発し、雲となり、雨となり、また川に流れると知っています。 しかしながら、今も昔もやはり人間は自然を完全に予測することはできず、その前では無力であることに変わりはありません。 なぜなら、その自然の摂理は、全ての生命に大いなる恵みを与えてくれますが、今なお予測できない天災が起こり人々を苦しめているからです。 最近では、阪神淡路大震災が起こり大変な被害がでました。
科学技術の進歩により人間は、一時的に、自然に対しておごり高ぶっていたところがあったのではないでしょうか。 この震災で、改めて人間は、計り知れない自然の猛威を思い知らされることになりました。 この超自然現象の前では、現代の我々も、二千三百年前の人々も、無力であることにかわりありません。 おごり高ぶった気持ちもうち消え、素直な気持ちに立ち戻り、自然は人間の上にある存在であり、自然こそ神々であり、人間は、自然の一部でしかないとあらためて悟ることになったのです。
そのことは、流觴曲水の宴という行事が中国で起こり、また、日本では、雛人形として今日まで連綿と受け継がれてきた由縁でもあります。
阪神淡路大震災などの超自然現象は別として、人間は、特に気候の変わり目ごとに自然の存在を感じてきました。 気候の変化は、人間に多くの恵みを与えてくれます。
しかしながら、気候の変化は、人間に病気悪癖などの災いをもたらします。
こうしたことを考えて、いにしえの人々が、小川の辺にたたずんでどんな思いにふけったか想像してください。 たぶん小川の辺にたたずみ、水の流れを見つめ、それを神のわざと考え、人の数奇な人生を流れにおきかえ思いにふけったのではないでしょうか。
そして、その思いは、自然発生的に約二千三百年前、中国の秦の始皇帝が天下を統一する前の時代、春秋戦国時代の後半に小川の辺にたたずみ思いにふけるだけでなく、一つのルールができ、宴となり、行事となりました。
それは、小川の辺に並んで座し、自分の前に酒をそそいだ杯が流れてくるまでに詩を詠みあげなければならない、もしできなければ杯のお酒を飲み干さなければならないという優雅な宴です。
その宴は、「流觴曲水の宴」と呼ばれました。
ここに、雛人形二千三百年時空の旅の出発点、流し雛につながる行事が生まれたわけです。
この宴を最初に行なったのは、秦の昭王と言われています。
宇宙から見える人類唯一の建造物、万里の長城を完成させた秦の始皇帝が、政王として王位に就いたのは、紀元前二四六年のことです。 そして、広大な中国を統一し、最初の皇帝、始皇帝となったのが紀元前二二一年のことです。
秦の昭王は、始皇帝が王位に就く五年前の紀元前二五一年に亡くなりました。 昭王の在位は、五十六年間という長期に渡るものでした。 春秋戦国時代の覇者として、近隣諸国から恐れられた人物でもありました。 また、政策、戦術の手腕もさることながら、文化行事にも造詣が深い人物でもありました。 生きるか死ぬかの極限状況下の戦国時代の中で、曲水の宴を考案できる才覚こそ王道の精神であるのかもしれません。
以降中国の歴史を見る限り、伝統文化を大切にするものが名君と呼ばれています。
(書聖王羲之が催した流觴曲水の宴断片図 作者不詳) (平城京東院庭園跡)