子供の健やかな成長を願う「端午の節句」
節句とは季節の変わり目に行う行事のこと。体調を崩しやすい時期であることからも、桃の節句や端午の節句に飾る人形には、子供の健やかな成長を願う家族の温かな思いが込められています。
端午の節句に飾る五月人形は、交通事故や病気から身を守ってくれるようにと、鎧や兜を飾るわけです。また、鯉のぼりをあげるのは、立身出世を願ってのこと。鯉が非常に生命力の強い魚であることや、竜になって天に登るという中国の伝説にちなんで、どんな環境にも耐えうる立派な人に育ってほしいとの願いが込められています。
節句の習わしや幼い頃の思い出を語りながら、親子で人形を飾り付け、片付ける。そんな家族の微笑ましい光景は、きっと幼い子供の胸に刻まれ、またその子供へと伝えられていくでしょう。家族の大切なコミュニケーションの場として、桃の節句や端午の節句を毎年お祝いしたいものです。
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端午の節句の歴史
日本への伝来とその後
五月はじめの午の日に行われた端午の節句は、約500年後、世に有名な中国の三国志の時代に、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められます。
日本では、邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)が、魏の国に使いを出した頃のことです。
この中国の行事が日本に伝わり、端午の節句として今日まで連綿と伝えられてきたのです。
端午の節句は、菖蒲の花が咲く時期でもあり、菖蒲(しょうぶ)の節句とも呼ばれるようになります。
厄除けの宮中行事から鎌倉時代の武士のあいだで菖蒲は尚武(しょうぶ)〔武をたっとぶ〕の言葉に重ね合わされ、武をたっとぶ節日(せつじつ)として盛んに祝われるようにもなってきます。
また、泥沼に綺麗な花を咲かす菖蒲の姿は、如何なる環境の中でも志の花を咲かす男児の心意気の象徴として板東武者にも好まれるようになります。
鎌倉期の鎧の金物に菖蒲の透かしを多く見かけるのもその心を託したのではないでしょうか。
この頃から端午の節句は、男児の節句としての色合いが濃くなってきたのです。 |
軒菖蒲(のきしょうぶ)、枕菖蒲(まくらしょうぶ)、菖蒲湯(しょうぶゆ)、蓬餅(よもぎもち)の由来
古くから中国でも菖蒲は厄除けの花として、そして、蓬(よもぎ)は薬草として端午の節句の行事に使われてきました。
日本でも多くの物語が残っています。
その中の一つに、鹿児島の昔話があります。
種子島の狩人と鬼の話です。
狩人がある年の五月五日に狩に出かけたときのときのことです。
山奥で鬼に出くわします。狩人は、抜けそうになる腰を押さえ、慌てて近くにあった蓬(よもぎ)の林に逃げ込みます。
すると鬼は、「火の中に狩人が飛び込んだ」と蓬の林を恐れ、近づくことができませんでした。
しかしながら、鬼は立ち去ろうとはしません。
狩人はしかたなく、すきを見てふもとに向かって逃げます。
しかし、鬼は追いかけてきます。
逃げ切れず、今度は菖蒲の沼に飛び込みます。
すると鬼は、「剣の林に飛び込んだ」と恐れ、またまた近づくことができません。
そこで狩人は、菖蒲を一株抜き取り、頭の上にかざし、家に逃げ帰ります。
鬼は追いかけてきますが、狩人が頭にかざした菖蒲が怖くて捕まえることができません。
狩人は村中の家に、大声で軒先に菖蒲を刺すように知らせ、菖蒲のない家には蓬を刺すように知らせます。
しばらくして仕方なく鬼は、山に退散するという話です。
今日に伝わる、軒菖蒲(のきしょうぶ)、枕菖蒲(まくらしょうぶ)、菖蒲湯(しょうぶゆ)、蓬餅(よもぎもち)を作る風習はもちろんのこと、五月飾りに使用される緑の毛氈(もうせん)などはまさに魔除けの蓬色(よもぎいろ)を用いていることなどが実にわかりやすく例えられています。
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江戸時代の武家と庶民の端午の節句
端午の節句は、江戸時代には、武家の軒先に幟(のぼり)や旗差物(はたさしもの)を飾り、また、玄関や床の間には鎧や兜を飾るようになります。
そして江戸中期には、庶民の間に、武家に対抗して鯉のぼりを軒先に上げるようになり、玄関や床の間には、武者人形を飾るようになります。
江戸中期の川柳(せんりゅう)のなかで「五月雨(さみだれ)が晴れて鯉の竹のぼり」と詠まれたものや安藤広重(ひろしげ)の江戸の風景画に描かれた鯉のぼりからも端午の節句の庶民への広がりを伺うことができます。
そして、鯉のぼりをあげるのは立身出世を願ってのこと。
鯉が非常に生命力の強い魚であることや、竜になって天に昇るという中国の伝説にちなんで、どんな環境にも耐えうる立派な人に育ってほしいとの願いが込められています。
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今日の端午の節句
今日、科学技術の発達した現代社会の中でも、端午の節句は時代を反映し、かたちを変えながらも子供の健やかな成長を願う心は変わることなく子供の日として、今まで以上に生活の中に脈々と息づき、大切な日として受け継がれています。
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